≪「まほろばのこだま」について≫

ついに、かわせみ座の演目の中でも一番興味があった「まほろばのこだま」が、
5月のおやこ劇場高学年例会として観ることがかなう事になった。
この「まほろばのこだま」は目に見えないけどひっそりと息づいている日本の
もののけ・妖精(というとヨーロッパかなんかのようだが)たちを表現した
舞台である。
アニメーションの「赤毛のアン」を最後に日本を舞台にした作品だけに参加することにした「高畑 勲/スタジオジブリ」が演出を担当し、いくつかの新しい試みを加えたものなのである。
(余談だが高畑氏が日本を舞台にしたものだけに参加する、 という気持ちはなんとなく納得がいく)

登場するカラス天狗・花鬼・河童・花の精ふうこは写真で見たきりだが、どれも妖しく美しく、とても魅力的だ。
ただし、優れた人形劇は絶対に写真で判断しない方がいい。
優れた人形劇であればあるほど、舞台の上の人形と写真の人形のギャップは大きい

かわせみ座のHP(実物の魅力のほんの何割のものかも知れないけど一度見てみてください)

また余談だが、むすび座の人形劇は、出遣いの人形遣いが演技をしていて人形と一体化していて、(まるまる人形遣いが見えているにもかかわらず、あとで子どもが「どうやってお人形を動かしてたんだろうね」との感想が出たほどの一体感である)人形の動かない表情を補足していたりして、それはそれで素晴らしい舞台だったのだ。
しかしかわせみ座の人形の演じ方、あるいは演じさせ方、というのはまったく趣や目指すところが違うのであろうと推測できる。
どんななんだろうどきどき。
≪かわせみ座との出会い≫

かわせみ座を知ったのは3年ほど前だろうか、
たまたまつけたTVで紹介されていて、津軽三味線とのコラボレーションで、竜と少女が動いているところを観ることができたのである。

信じられないような生き生きとした竜と少女。

人形が動き出した瞬間わたしは鳥肌が立った。
TVという好まないメディアで見てこれだけのショックを受けるのは私には滅多にない事である。
例えば、現代のCG技術を駆使して表現したとしてもこの生命感は出ないだろう。
≪事前交流会≫

一見、山本氏は普通の人に見えないこともないが、やっぱりその存在感など只者ではない。
しかもすごくかっこいい(目ハート)

以下は事前で聞いた話を思い出すままにランダムに書いてみる。

@子どもの頃に見た「辻村ジュサブロー」の八犬伝の人形を見て人形劇に興味を持った。

@かわせみ座の人形はすべて山本氏の手によるオリジナル。 一体一体すべて動く仕掛け(この仕掛けもオリジナル)が異なる。 平行して作るけど、ひとつの人形が完成するまでほとんどの場合 1年くらいかかる。

@舞台の演出として生演奏とジョイントした事もあるが、観客の目線が分散してしまうのでいまいちな結果だった。

@海外公演も多く経験しているが国柄で反応が違っておもしろい。
 ヨーロッパは精霊(妖精、もののけ)などに親和がある感じがする。

@アメリカで舞台は好評だったが河童(まほろばのこだまに出演する)のことを「甲羅をかぶったやせ細ったカエルのモンスター」と評されてがっかりした。
 アメリカには精霊はいないのだろう、と感じたのだそうだ。

@ロンドンでたくさん舞台を見たが舞台装置(美術)などがとてもすばらしく、 また、ある地域にたくさん劇場が建っていて、 そのどれもにお客さんが入っていて、舞台芸術が日常に溶け込んでいることを感じた。

@「まほろばのこだま」では、かわせみ座の中だけで作品を作っているとどうしてもひとりよがりになりがちなので、知人のつてで紹介された高畑 勲さんに演出を頼んだ。
いくつか高畑さんから条件を提示された。
こちらがわの世界の代表として、「生の役者による童女」を出すこと。
わらべうたを挿入すること、など
結果、とてもよかったように思う。

多分、話すのは決して得意な方ではないように思う。
でも、感性の豊かな人の話はやっぱり聞いていておもしろい。
(途中、「あれ?なんの話してたんだっけ」とボケたところがすごくすてきだなあ、と思った)
(以下追加)
ちなみに私が最も共感したこと、それは

今、日本は確実にきな臭い方向へ(よくない)向っているのを感じる。
戦争批判の舞台作品も、今、多く作られている。
私自身ももっと「平和」をテーマにした作品を作りたい気もしている。
しかし、いろいろ迷いながらも「自然や命の美しさ」を感じる作品を創ることで「平和への思い」を育てるようにしたい、と思っている。


という山本氏の言葉だった。

私は、PIKIが子どもの頃から「子どもには美しいものを」といつも思っていた。
それは美しいものを知るからこそ、「美し世界」へのビジョンが描けるからなのである。

私たちは、世界でもまれに見る裕福な国に生まれている。
それは何故なんだろう?(私は原則的に偶然という概念はないと思っている)
一日3度の食事に事欠かないのに、「摂食障害」に陥る人のたくさんいる国に生まれてきてる私たちは何か役割があるのでは?

それは、多分、美しいものを知り、美しいものを愛し、美しいものをビジョンとして現実に創り上げていくのが私たちの仕事なんじゃないか、と私は漠然とそんな風に思っている。

続く(次のページは写真つき)